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 loverについて

 

 つい数年前のことだが、自然主義の女性に本気でのめり込んだことがある。彼女はかなり厳格なヨギー(ヨガの愛好家のことをそう呼ぶらしい)だったのだが、例によって菜食主義であり、日の出の前には起きて、日の入りの数時間後には床につくというかなりストイックな生活を送っていた。

 そういった生活様式は当然に現行の一般的な社会とは齟齬をきたすものであり、彼女も漏れなく歳を負うごとに周囲との葛藤が大きくなり、次第に孤独になっていった。彼女はそのとき27歳とかそれぐらいで、既に分水嶺を越えて、ドラスティクに変革できる余地がほとんど残されていなかったのだと思う。

 その極めて限定的なある時期に、彼女を介して、さまざまな自然主義的な人々と交流をもつことになったのだが、そのときに学んだ一つの教訓がある。それは、自然主義者とは、極めて自分本位な人種である、ということだ。

  彼/彼女らの意識のベクトルは驚くほど自分の身体や生活に向いており、他者に対するそれは、その余剰(そんなものはほとんど残されていないのだが)がわずかにあてがわれるだけなのだ。己が独り如何にして生きていくか。その姿は、僕にホモ・エコノミクスという人種を想起させる。

 そういうわけで、今では、彼女を含め、そのときに知り合った人々から電話がかかってくることもないし、僕のほうから手紙を書くようなこともなくなってしまった。閉じた円環(クローズド・サーキット)には自分たちの声が反響するだけであって、手紙を投げ入れたところで、判が押されぬままポストに舞い戻ってきてしまうのだ。

 




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